母の介護日記

認知症とは?~母の物忘れについて考える受診のタイミング~

今日はロキロビの母の話です。4人兄弟の末っ子として誕生した私は、母が39歳の時に産んだ子供です。

幼い頃、母は私を叱るときにいつも同じ言葉を言いました。
「お母さんはよそのお母さんより年を取っているから、あなたが大きくなるまで生きているかわからない。間違っている事は今のうちにしっかり理解して直してね。」

父と母は小学校の同級生…父や母の年齢は子どもの頃の私にはプレッシャーでした。父は私が高校の時に脳梗塞で倒れ、13年の自宅療養を経て他界しました。

桜の花と父の想い出

今日は父の命日です。16回目の命日です。本来であれば17回忌・・・予定していたら、母が足の痛みで動けなくなり、お寺に17回忌のお経のみお願いして、法要は中止しました。 そんな中、昨日の日曜日に一人だけ ...

父の介護もあるなか、働き手を失った家を建て直すべく働きに出た母、いつも私たちには大丈夫という言葉を繰り返し頑張り続けてくれた母を心から尊敬し、幸せでいて欲しいと心から願っています。そんな母が最近、様子がおかしいことがあり心配していました。

認知症なのか?始まりのサインは会話の中で…

現在の母の年齢は87歳…今までの母はいつも実年齢よりも若く見られていました。実際、75歳過ぎまで正社員として仕事をしていましたし、長女が生まれた時には初めての沐浴も母に入れてもらいました(〃▽〃)

私が働きに出るようになって一緒に過ごせる時間は減りましたが、毎年一緒に初詣に出かけたり我が家が家族で買い物に行くときには、母を迎えに行って一緒に出掛けるようにしていました。

同じ話を繰り返す、予定の日時を間違える

最初に異変を感じたのは小学生の運動会に誘ったときでした。運動会は5月中旬、足を痛めて不調が続いていた母に敬老席で運動会を観るか聞いてみたところ、行きたいという返事でした。

その確認をしたのは5月の始めごろ…その数日後、母から電話がかかってきました。普段は土曜日に仕事の兄が休めるので運動会に一緒に行こうと思うという連絡でした。その時、母はその週の週末が運動会だと思っていたのです。

rokirobi
おかあさん、違うよ。運動会はもっと先の土曜日だよ…ごめんね、言い間違えたかも?

その時は勘違いしたのかな?位に思うだけで終わりました。でも、その頃から母の様子が気になって仕事と家事の合間に実家に電話を入れるようになりました。

そして、気付いたのが電話をしている途中でふっと母が無言になって、突然全く関係のない話を始めたり、同じことを何度も繰り返す事でした。

不安はどんどん大きくなり…

そんな中、ゴールデンウィーク中に母も誘って買い物に出かけました。部活の友人と遊びに行く約束だった長男を除いて、我が家の三姉妹とパパ、母と私で子供たちの服や靴を買いに出かけました。

迎えに行った車の中で長男が出かけて不在な事を伝えたのですが、家に着いたときに母がまた私に長男は?と聞いてきました。出かけたことを伝えると納得したので、みんなで出発しました。

買物中、母は疲れるので休憩をとるようにしていて、長女が付き添いベンチに座るとまた母が長男は?と長女に聞いたそうです。この頃から長女も少し不安を感じていました。

傷つけたくはないけれど…

高齢になってくると、自分が出来なくなったことや老いを感じる出来事で傷つくことがあります。母には歳の離れた妹がいて、母をとても大切にしてくれます。

我が家からも近い場所に住んでいるので、うちの子供たちの事もとても可愛がってくれます。特に下の二人、次女と三女はこの叔母が大好きです。私がフルタイムで働いていた時には習い事の送迎や延長保育のお迎えなども叔母がしてくれました。

叔母に感謝しつつも、私がやってあげられたらねぇ…と寂しそうに母が言うのを何度も聞いた覚えがあります。数年前に骨折した時や、足が悪くなって一時的に動けなくなったり、自分がみんなの為に役に立てないと感じる事は、母を苦しめていると感じてきました。

その為、勘違いや物忘れもやんわり伝えて母を傷つけないようにしていたのです。

家族にできる事、最善の道は?

母の言動に違和感を感じた時、私は淋しい気持ちになりました。私の知っている母がいなくなってしまう…そんな風に感じたのです。その不安と寂しさは今まで感じた事のない感情でした。

まずは冷静になる

自分が感情的になっていると、何も進まない…そう思い、自分に何ができてどうする事が一番良いのか考えてみました。母の幸せについても考えてみました。

母の望んでいる事を理解することから始めて、少しずつ現実を母に伝える事から始めました。同じことを繰り返している事を自覚してもらう、忘れる事が多い事を自覚してもらうところから始めました。

責めるような口調にならないように、時には自分が物忘れがひどくなったことなども話して共感しながら、母に現状を理解してもらう事から始めました。

受診に対する心の壁を取り除く

母の状態を見て、認知症について調べて受診できる病院を近所で探し始めました。通いやすい事、先生との相性もあるかもしれないので、ここだと思える病院に出会うまでは何か所か回ろうと思っています。

母に少しずつ話し始めました。

rokirobi
今はまだ全然普通なんだよ。ただ、やっぱり前より色々忘れちゃうことあるから…

そんな風に言うと、母もずっと家にいるから日付の感覚がおかしくなったなど自分の理由を話してくれました。それをひとつずつ聞いて、否定をしないように注意して話をすすめました。

rokirobi
なんか、病院って言うと敷居が高く感じるかもしれないけど、今の物忘れが認知症とかの前兆だったら嫌じゃない?
早めに受診して、少しでも先延ばしできたら普通に暮らせる時間が長くできると思うんだ。

母にとって、独身の兄の身の回りの事や実家の愛犬チョコのお世話が今の生き甲斐です。その暮らしを少しでも長く続ける事を目標に受診してみるという事に気持ちが動いてくれました。

母にした提案

私は母に寄り添いたい思いから、仕事を辞める事も考えました。でも、職場の人と相談してシフトを減らしてもらう事にしました。やはり収入がなくなるのは厳しいので、職場の人には感謝しています。

現在、母は火曜日にリハビリに通っています。足の痛みを緩和するために運動して筋肉を少しでもつけるようにと頑張っています。他に隔週、市の公民館で水引きを習っています。

私の仕事のない日、朝から母を迎えに行き我が家で一緒に過ごしてお昼を一緒に食べて買物に出かけて夕方に母を送り届ける…以前はよくそんな風に過ごしていたので、それを再開しようと提案しました。

一緒に過ごす時間を増やして、これからの受診についても寄り添う気持ちをわかって欲しいと思いました。孤独にならずに自分の症状と向き合って欲しいと思います。

今がスタートライン、受診する気持ちになってくれた母

時間をかけて、少しずつ受診を勧めてきて母の気持ちも受診してみようという風に変わってきました。きっかけは長女のお琴の研究会でした。

日付の間違い

長女のお琴の発表や小中学生の学校行事は、母の体調を見ながら誘っていました。今回も室内で演奏を聞くことは体への負担も少ないので母を誘っていました。

研究会は月曜日でした。土曜日は小学生のダンスの行事で外出、日曜日は仕事が午後に入っていたので母には日曜日に仕事が終わって帰ったら翌日の月曜日の迎えの時間を連絡すると伝えていました。

土曜日の夜遅い時間に母から電話が入りました。明日の時間は?という質問と、明日は兄が休みなので兄も一緒に行きたいというものでした。

rokirobi
お母さん、学校の行事だから月曜日だよ。明日、仕事が終わったら迎えの時間を電話するね。
長女の出番の時間を確認して出発の時間を決めるよ。

母は自分の勘違いを笑っていましたが、その笑いは不安が混じった重い雰囲気の笑いに感じました。もう、ここで話し合わなければ…と自分の中で決めた瞬間でした。

長女に漏らした母の思い

母は長女のお琴の発表をとても楽しんでくれました。昨年も一緒に観たので、成長した上達したと喜んでいました。帰り際、長女に会えたので母とふたりで写真を撮って帰ってきたのですが、その時に母は長女に「来年は来れないかもしれないから…」と言ったそうです。

長女
そんな事言わないで…来年もおかあさんに見て欲しいよ~

我が家の子供たちは母の事を「おかあさん」と呼びます(*´艸`)きっかけは長女…「ばぁば」と教えていたのですが、私が母と会話するときに「おかあさん」と呼んでいるのを聞いていて覚えてしまったようで、ある時突然母を「かしゃん、かしゃん」と呼ぶように…

かしゃん→おかしゃん→おかあさんと成長していきましたが、母が嬉しそうに愛おしそうにしていたので、訂正せずにきて、弟妹達も同じように母をおかあさんと呼びます(*´艸`)

こちらの気持ちを伝えて受診を勧める

母は決してお荷物なんかではない事、できなくなったことを補いながらも一緒に過ごしたいと思っている事、子供たちもそう願っている事、何かしてくれなくても「おかあさん」が大好きな事…

そんな思いを伝えました。母が日常の家事などが負担になったときには我が家に迎える用意がある事も…

でも、我が家に母を迎えたら兄はひとりぼっち、だからその日を少しでも先に延ばしたいと考えている事…そのために受診してみようと思っている事…足がリハビリに通う事で少しずつ良くなっていると感じている母に、心も一緒だよと伝えました。

受診して適切なアドバイスや治療を受ける事で毎日の暮らしが少しでもラクになったら、その方が母が楽しく暮らせると考えているのだと伝えました。

受診すると言ってくれた母、これからやろうと決めた事

私とたくさん話したあと、受診してみようと言ってくれた母…7月に入って私のシフトが減ったら一緒に受診する約束ができました。今の状態の自分を家族が大事に思っている事を受け止めてくれたと思います。

一緒に暮らしている兄も母を精一杯サポートしています。兄が仕事でいない時間は私が母に寄り添いたいと思います。

母には約束したことや話したことをノートに書いておこうと提案しました。また、家の中の事で母しか知らない事は突然何かあっても兄が困らないようにノートに書いておこうと約束しました。

母と別れる日が来ることは考えたくありませんが、いつかは必ず来てしまう日…そこで残された家族が困らないように今からできる事を一緒にやっていこうと話しました。

母をサポートするための家族の協力

自分なりに母にとっての最善の道を探してきましたが、家族には理解してもらう必要があります。最初に母の事を話していたのは長女とでした。

戸惑う長女

小学校の高学年になったころから、母に対しては甘えるというよりいたわる気持ちが強かった長女。私がフルタイム勤務で母が留守番に来てくれたりしたときには、母が疲れないように弟妹の面倒を見ながら過ごしていました。

長女は母が大好きで、私が母を気遣っている気持ちを1番理解してくれている子供でした。なので、母が同じことを何度も話してくるなどの異変には私と同じタイミングで気付きました。

私が母にしてあげたいと感じている事について、長女はいつも応援してくれている存在です。

パパの思い

パパにも相談していました。不安に感じている事、心配している事を話して、どうしてあげるのが一番なのか話し合っていました。そこでパパが始めたのが家の片付けでした。

子供たちの成長と共に、子供たちの部屋割りを変更する必要がある我が家…現在、1階にある子供たち全員共有の勉強部屋を2階に移動して寝室を女子と男子で分けようとしています。

その際、空き部屋となる子供たちの勉強部屋をお母さんの部屋にしたら?という話になりました。私たち夫婦はリビングで寝ているので、母が体調が悪い時など泊まってもらえるように1階の部屋を空けようと頑張ってくれています(*´∀`*)

長男へのお願い

長男までは…と思い、母の状況を説明しました。うすうすは感じていた長男ですが、話を聞いて自分もお手伝いしたい思いがあると言ってくれました。話している時は泣いていましたが…

長男
どんな時も、おかあさんを大好きな気持ちは変わらないよ。

それをいつも伝えてあげてねとお願いしました。

次女と三女には…

三女は特に、今の状況を説明すると母を想うあまりに言葉に出して何か言ってしまいそうで心配です(*´艸`)三女が思いやって言ったつもりの言葉が母を傷つけてしまうかもしれません。

なので、二人にはあまり深くは話さずにいます。ただ、母が足を悪くしたりしたことで母をいたわろうという気持ちはふたりにも常にあるので、母が家に来ているときにはとても優しく接してくれています。

そして、時にはおかあさん大好き~と言ってハグしたり甘えている二人です(*´艸`) 母にとってはこれが一番嬉しいかもしれません。

無邪気に甘える仔犬テンの存在も母の癒しになっています。最近ではテンに会うのが楽しみで我が家に遊びに来ている母です(*´∀`*)

認知症?と感じたら違っていてもいいので受診しよう

我が家の受診はこれからです。結果がどう出るのか、まだわかりません。でも、違っていてもいいので少しでも早く受診した方がいいのでは?と考えています。

母だけでなく、私自身が認めたくない、受け入れたくないという思いがありました。でも、現実から逃げていても何も変わらない…母の為にいちばんいいのはどうすることなのか?と考えてからは気持ちが前向きになった気がします。

どんな状態でも、私を愛して育ててくれた大切な母にかわりはなく、その事を忘れずにこれから過ごしていきたいと思っています。そして母に1日でも長く母らしく幸せに過ごして欲しいと願っています。

今年の母の日には、お財布をプレゼントしました。以前、プレゼントしたL字型のお財布をとても気に入っていたのですが、傷んでお財布を替えたら使いにくいとこぼしていたので…

長財布 レディース L字ファスナー長財布 日本製 ローズ型押し 薔薇モチーフ レザー 本革

このお財布を自分の分も一緒に色違いで購入してプレゼントしました。母娘でお揃いのものを使うのも、母と仲良しのままだよという私なりのメッセージでした。母は喜んで使ってくれています(*´∀`*)

これから状況がどう変わっていくのかわかりませんが、母に寄り添う気持ちだけは忘れずに過ごしていこうと思います。受診した後の日々についても、記録として残していけたらと考えています。

そして、39歳で私を生んでくれた母、私は37歳で次女を38歳で三女を生みました。これから自分にも訪れるであろう高齢時代…母の様にいつまでも、子供たちの気持ちを優先できる親でありたいと感じています。

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rokirobi

大学生から中学生までの4人の子の母です。 大好きなワン達とのまったり時間をこよなく愛する主婦です。 趣味はハンドメイドとPC…どちらにしてもインドア派です(;'∀')

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